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維水志のルーツを探る旅 その4

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通称、「ウラ中」。

維水志が通った横浜市立の中学校である。



名前からしてすでにヤバいのだ。

ウラ中、って・・・・。




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いや、漢字で書けば「浦」だから、名前に関しては別にヤバくはないのだが、実質はそりゃもうひどいもんだった。

下町の海辺近くの学校なんてのは野蛮の中の野蛮なのだった。


所謂、不良、ツッパリ、と呼ばれる方々の巣窟と言ってよろし。

それもそんじょそこらへんの不良とは違い、「少年院行き」という肩書を持つものがいたりするのである。


他校との抗争、という、漫画みたいなことが現実に起こっていたのだ。

そしてウラ中の番長らが他校に攻め入る際のいでたちは、これまたウソみたいだが、ランニングシャツに革ジャン、手にはチェーンという、ドラマや漫画の世界では定番の恰好が拝めるのである。


高校に入学してから、実際にウラ中軍団に責められた同じ区内にある「まっ中」出身の友達に次のようなエピソードを聞いた。

まっ中の先生たちが「皆さん、ウラ中が攻めてきますから帰りましょう」と校内放送で生徒たちを強制下校させた、というのである。

そりゃホントの話だったのだろうか?

でもあの不良たちを実際に目の当たりにしていたからか、まんざら嘘ではなかったとも思えたのだ。


でまあ、そんな学校だったから、出身中学を聞かれ、「ウラ中」と答えると、それだけで相手に引かれるという経験を何度もした。


そんな悪の巣窟であるウラ中だから、不良さんたちは筋金入りの悪であり、高校に進学などしない人たちだった。

皆さん、暴○団の予備軍だったと考えられる。


だから、維水志が、学区内では一応進学校にあたる高校へ進学した際、不良らしき人が高校にいたのに驚いたのだった。

「え・・・。不良って・・・。学校通うの?」と。

そして思い直し、「否、こいつらは不良ではなく、チンピラというのだろう。本物の不良は高校になど来ないのだ」と自分に言い聞かせたものである。


チンピラ・・・。ウラ中にもチンピラがいたなあ。

番長格になると一般市民(まじめな生徒たち)には手を出さないのだが、その手下のチンピラになると、何かとちょっかいを出してくるのがウザいのである。

そんなチンピラどもと関わらないようにするには、目立たないように生活するしかないのだ。


そう、悪行三昧をする不良に立ち向かった、などという、武勇伝のかけらもないのさあ。


そんな中で、楽しく生きるにはウラ中の中で裏の活動をするしかなかったわけだ。

それでまあサケウチらと秘密のグループを結成し、影で悪さをしていたものである。

う、鬱屈している・・・。


まあ悪さと言っても、ホントくだらない、笑えるような可愛いものである。

今だったらもしかして新聞沙汰になっている可能性もあるかな?否、ないな。


で、最終的には教師に見つかり、親を呼び出される、というオチで終わったのだが・・・。



笑うなあ。







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懐かしい・・・。ウラ中の校章だ。

今はどうなってんだろう?未だに不良の巣窟だったりするのかなあ・・・。



そんな学校だったが、一方で多大な恩恵を被ったことが一つある。


内申点である。


当時は相対評価だった。5段階評価なら最高の「5」がもらえる人の数は生徒総数の8%まで、と決められていた。

一方、最低の「1」も、教師側は強制的に誰かに割り当てなければいけなかったわけだ。

生徒が100人ならば、5が貰えるのは8人、1をつけなきゃいけないのも8人、ということになる。


ここで維水志は、大して頭も良くないのに随分といい成績を取っていたのである。

もう少し頑張れば、学区内のトップ校へ行ける、と錯覚したほどだった。

それは不良さんたちがこぞって1や2をもらってくださったからに他ならない。


それが証拠に、当時、ア・テストというものが存在したが、高校に入ってから周りのみんなのア・テスト評価を聞くと、軒並みみんな維水志より高かったのである。

逆に、「え、そのア・テストの点でここに入れたの!?」と驚かれたものだ。

「ああ、ウラ中だからかあ・・・」と妙に納得されるという失礼な話だけど、実際そうだったから否めない。


笑う。


そしてありがとう、ウラ中。

お陰で、まっ中や六中、ジン中在籍だったら入れない高校に進学できたよ。


そして維水志はバラ色の3年間を高校で過ごすことになった。

さらに、今も続く、永遠の友情と仲間たちを、この3年間で得ることになるのだもの。






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それがここだよ。

ついでに高校まで来ちゃったよ。

ウラ中から車で20分ぐらいだったか。





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ああ、校門・・・・。当時と変わらん。


高校をどこにするか決める際、塾が一緒だったサケウチと塾帰りにいろいろと話し合った。

自分、というものがなかった維水志はサケウチと同じ高校がいーな、と思っていたはずだ。

「サケウチが行くというなら間違いない」みたいな安易な気持ちでいたのだろう。

そのサケウチがここを選んだ理由が「今年はここにかわいい子が集まるってウワサだぜ」という、なんとも不純な動機だったのがまたおかしい。

まあホントは奴なりに真剣に考えて決めたことなのはわかっているが、当時の維水志はそれを鵜呑みにしたわけで・・・。


結果、そのウワサは本当ではなかったのだが、高校卒業後、現役で大学に合格し、見事、公立高校の先生になったサケウチ。

一浪して何とかサケウチと同じ大学には入ったものの、就活もせず、自営業を手伝いながらなんとなく塾の講師になった維水志。


人生って、なんでこんなにも違うものかしら・・・。





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一方、維水志がこの高校に進学を決めたことで、母ちゃんのショックと言ったらなかった。

人生の最大の岐路とも言える高校進学決定を、そんな中身のない安易な理由で自分勝手に決めてしまったわけで・・。


母ちゃんは、まだ幼い時に亡くなった自分の母親の優秀さを維水志に投影していたのかもしれない。

なんたって、あの、「朝が来た」のドラマで出ていた日本で最初の女子大学に実際に在籍し、英語が堪能だったというのだから。

維水志が中学時代、無理矢理英語塾に通わされていたのもそれが理由である。


母ちゃんにしてみれば、維水志が学区のトップ校へ行けるもんだと信じて疑わなったようだが、そりゃ無理な話である。

それで、「サケウチと同じ、○○高校にする」と報告したら、「そんな場末の学校へ行くなんて・・・」と涙を流したのだった。


母ちゃんが維水志のことで泣くなんてこた、それまでなかったことなのでそれはそれでショックだったし、自分が決めた学校のことを「場末の学校」と言われてしまったことや、「場末」いう響きも強烈でもっとショックだったのを覚えている。



けどなあ、この学校での3年間が今の維水志の半分以上を作り上げたと言ってもいいくらい充実していたことを考えると、ここを選んだことは唯一の正解だったにちがいない。

そして無理矢理でも習っていた英語が今の自分の職業になっているだなんてのを思うと、これもまた正解だったのだ。



今回、マイハニーに付き合ってもらい、こうして自分のルーツを探す旅をしたわけだが、来て良かったよ。


自分の人生、そんなに悪くなかった、と思えるのだ。








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ああ、まだ部室棟、あるんだね。

あそこに写真部があったんだ。





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グランド・・・。どうなっちゃったのかしら?

当時は陸上が強かったんだが。


維水志はここの10期生。

現在籍生は・・・・何期生でしょう?

自由な校風が素敵な学校だった。




懐かしい。

今度の平日休みにはみんなと酒を飲もうかな。

今年は2月の定例会に行けなかったし。


「維水志のルーツを探る旅」 完



ん?あ、いや、今度、小学校時代の相模原にも行ってみようかな(笑)

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Category : Essay 2016
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2 Comments

kazu says...""
俺らの時代って…
学校が荒れてましたよねぇ

私は「勉強は出来ないけど普通の子」ってやつでしたぁ
全てにおいて中の下って感じかなぁ(笑)

2016.06.10 14:52 | URL | #- [edit]
維水志萌一 says..."kazuさん"
むしろ荒れてるのが普通だったかも。
金八先生が流行るわけです。

私は彼らのお陰で中学校では普通以上でいられました。
その代わり、高校では常にビリでしたあ(笑)
2016.06.10 14:57 | URL | #- [edit]

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