Ninjaよ!私は帰ってきた!!

四半世紀の時を越え再びバイク乗りに挑戦!が表向きで「これを期にブログをやりたい!」が本音、のブログです。

新年のご挨拶

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昨年中は大変お世話になりました。

バイクガレージ付きの家造りも無事一段落し、今年はバイクに関する記事をより多くアップできるように努力をしていきたい所存です。


今年は新たに動画にもチャレンジしてみたいと思っています。

もちろん、ガチョウ倶楽部の活動も再開します。


今年も当ブログ、「Ninjaよ!私は帰って来た!!」をどうぞよろしくお願い申し上げます。

\(^o^)/

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体調を崩す

なんだろう?

一つ山場を越えたからだろうか?

きっと気が緩んだんだ。


風邪の初期症状のような気もするのだが、それとは違って偏頭痛がひどい。

肩や首が異様に凝っている。


で、昨日の13時間半労働が引き金となったのか、じっとしていも辛い。

通常、頭が痛けりゃじっとしてりゃいーわけだが、それでも痛みが治まらないから始末に悪い。



そんなんで本日はおでかけする気にもなれず、おでかけも近場で済ますこととなった。


と言ってもラグ選びの続きだ。


市内に東京インテリアっていう家具屋があるから行ってみたが、特に「これ」っていうのが無く、すぐに用事が済んでしまった。

その後、この街最大級のスーパー、イオンに行ってみるが、これまた不発。


昼食も特に食べたいと思うものが見つからず、気軽に入れるさぼてんで澄まし、最後にカーテン王国を見て帰ろう、ということになった。


それで決まれなければ、こりゃもうラグに関してはネットで決めてしまおうという結論に至った。

そこでウール製のラグのサンプルを数枚借りてきて帰宅するも、実際にリビングに置いてみたら、

「・・・・・・・・」

という感じで今一つパッとしないのだった。


やはり同一色ってのは合わないのだろうか・・・・。



ただでさえ頭が痛いのにそんなことを考えるのは余計に億劫になってきた。

テレビも見ていられないほどに目の奥が痛いだなんて、ここ数年経験したことがない、というか人生で初めてかもしれない。

葛根湯を飲み、ひたすら寝るしかないのだった。



せっかくの休日だというのに頭が痛いせいで非常に辛い一日となってしまった。


それより明日以降、まだ暫く長時間勤務の日があるというのにだいじょうぶかしら?

そうは言っても代わりをしてくれる人はいない。省エネモードでなんとか乗り切るしかないのだ。



戦いはまだ2月末まで続く。

まだ気は抜けない。

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スマホと過ごした1週間

ガラケーを卒業して約1週間が過ぎたか。

つまりスマホと付き合いだして1週間ということでもある。


感想を一言で言いうと、

「やはりあんまり使わない」

ということだろうか。


まず電車の中であんまり見ない。

リーディンググラスを使わないと見にくいからか、カバンからそれを出すのがおっくうで、今まで通りメールの返信や帰宅時刻の報告ぐらいですぐにポケットにしまい込んでしまう。


昨夜だったか、野球の途中経過が知りたくて、先日入れたばかりの野球アプリをずっと見ていたぐらいである。


もしかしたらもっと便利なアプリがあって有効な使い道があるのだろうけれど、それが見つからんのだ。

英語関係のアプリを入れてみたが音が出るやつだからNGだ。

イヤホンをすればいーのだろうが面倒くさい。

それに何よりもつまらんというのがネックだ。


きっともっといーのがあるかもしれないから探してみようかな。



それでデータ使用量を見てみたら、0.1ギガしか使ってなかった。

・・・・・。


むーん。


やはり通勤時間が40分程度ではこれからも活躍の場がほとんどないだろうな。


けどauのガラケーを使っているのと料金差がほとんどないからこれでいーのだ。



そうさな・・・・。

あと便利な機能と言えば、Sharelinkというアプリだろうか。


パソコンとリンクさせることで、いちいちUSBで接続しなくてもデータが簡単にやり取りできる。

パソコンの中にある音楽データをスマホに、スマホで撮った写真をブログ用に使うためにパソコンに移動するのがえれー簡単なのだ。


これはとても気に入っている。


あと写真もわりと綺麗に撮れるのも気に入った。


そーいやSNSにもチャレンジしてみた。

LINEで、しかもマイハニーとのやり取りだけではあるが。



まだまだこれから利用価値が広がっていくだろう。


やっぱあれだね、休日どこかへ出かけて使ってみないとその真価がわからんのだろう。

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維水志のルーツを探る旅 その1

維水志が生まれた街は横浜の海岸沿い、いわゆる商業地区である。

なので自分の中での「横浜」とは、中区、西区、神奈川区、鶴見区等、沿岸沿いを指し、それ以上内部や、横浜駅から随分と遠ざかるエリアは横浜とは言わないのである。


で、住まいも非常に交通量の多い国道1号と15号の間にある下町もいいところだった。

だからかどうかはわからないが、育ちは決して良いとは言えず、ガラが悪い。言葉遣いも汚い。自分で言うのもなんだが・・・。


それで、とにかくそれらほぼ平行に走る2本の道路の距離が限りなく近づくエリアなもんだから騒音がハンパなかった。

夜でさえパトカーや救急車のサイレン、大型トラックエンジンの轟音が鳴りやまない。

その国道1号と15号が「いちこく」と「にこく」と呼ばれていたのは謎だったが、いま改めて地図を見てみると、第一京浜と第二京浜を略したものだったのかしら?しかもそれだと1号が「にこく」?


不思議なもので、そんな騒音が酷いところでも寝られてしまうのだから、人間の適応能力というのは凄まじい。

だからかどうかは知らないが、旅行などでイビキが相当うるさいメンバーがいても寝られるというスキルを身に付けているのである。


だが当時、喘息持ちの維水志にとって、こうした空気の悪いエリアに住むのは良くないとされていた。

タバコの煙が嫌いなのも、そういったことが原因なのである。


けれど今の医学からしたらそんなの全然関係なかったわけで・・・。

アレルギー体質の維水志のアレルゲンは、実はハウスダストでした、なんて事実が発覚したのはもうだいぶ大人になってからだった。

排気ガスとか動物の毛が良くないとか、一体、何を根拠としていたのだろう?今考えると笑ってしまう。



それでまあ、生まれと実家は横浜だが、保育園・小学生時代は親父の仕事の関係で相模原で過ごした。

なのでその間、実家は「おばあちゃんち」であり、どのくらいの頻度で来ていたかは覚えていないが、来れば必ずと言ってよいほど訪れていた近所の「ひぐち」と呼ばれる駄菓子屋のことははっきりと覚えている。


で、小学校を卒業すると同時に横浜に戻ってきたのである。

そこから中高を卒業し、大学在学中に諸々の事情で実家を売り払うことになるまでそこに住んだ、ということは・・・・、なんだ、じゃあ実質10年ぐらいしか住んでないわけか。


まあでも、青春時代真っ盛りの多感な時期を過ごしたわけだから思い出はいっぱい詰まっていると言える。


そんな場所を久しぶりに訪れることにしたわけだが、たぶん・・・・四半世紀ぶりになるのかもしれない。

そんなに長い間リターンしていないのも、そこを出ていく頃のすったもんだがあまり思い出したくない事実であり、近所にいた知り合いももう住んでいないから、という理由が考えられる。



ホテルニューグランドのランチを終え、第一京浜から実家のあったところへアプローチした。


目的地が近くなるにつれ、懐かしさで何かがこみ上げてくる感じがした。

一人で奇声を発していたかもしれない。


中高と同級生だったサケウチの実家があった辺りか、あるいは銭湯があった辺りかは定かではないが、今はコインパーキングになっていたのでそこに車を停めた。



あわわ・・・・超懐かしんですけど・・・・。






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写真の、今、車が停まっているところに実家があった。

我々が出ていくとすぐに駐車場と化してしまったことは知っていたが、あれからずっと変わっていないんだ。


こうして、住んでいたところが跡形もなく無くなっているというのも残念な気がする一方で、他の家が建っているのを見るよりはましなのかもしれない。



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ちょうど黄色い線あたりまでが自分ちの敷地だったかしら。

狭い土地に住んでいたのねぇ・・・・。


この車のディーラーの工場が出来たのは高校生の時だったか、それまでは空き地でそこでキャスティングの練習やキャッチボールをした記憶がある。


それが出来てからは、風呂の窓からちょうどブロック塀あたりが見えていたろう。


築何十年だったか、大工の棟梁だった祖父が自分で建てたとされるその家は親父を筆頭に5人兄弟計7人(母ちゃんが嫁いで維水志が生まれてからはマックス9人?)が暮らしていたということもあり、もうクソボロであった。

相模原から戻ってきた時には、じいちゃんはすでにこの世を去っていて、末っ子、つまり維水志の叔父を除く他はみな結婚して独立をしていたから同居はなかったが、それまでの埃は溜まり放題だったろう。

ハウスダストの温床と言ってよい。

そんなところに住んでんだもん、疲れるとすぐに喘息の発作が出たのも頷ける。


家は祖父または親名義だったが、土地は他人のモノだった。

こんな土地でも親たちが、借り物でなくちゃんと計画的に地主から買って自分名義にしておけば、子孫がこんな苦労することなんてなかったはずなのに・・・・。

この狭さでもたぶん今の維水志邸の土地より数倍高いぞ。


お陰でこの歳になるまでずーっと流浪の民をやらねばならなくなったさあ。

でも、お陰で今の恵まれた生活がある、とも言える。



そんなつまらん話をマイハニーにしながら近所を歩いてみる。



中学ぐらいまで近くに長屋があったが、さすがにそれはすでにその頃取り壊されて駐車場になっていたが、今は集合住宅が建っていた。


駄菓子屋「ひぐち」があったところへ行ってみる。

その前にはよく遊んだ公園があるのだ。



「ひぐち」・・・。懐かしいなあ。

老夫婦が営んでいた駄菓子屋だ。

じいさんは耄碌してしまったのか、あまり店頭で見かけることはなかったが、ばあさんのほうはかなりしっかりしていて子供に優しくない感じだった。

もちろん自分を含めたクソガキに対処しないといけないから自然とそうなっていたのだろうけども、そーいや同級生のサケウチは「ひぐちのばばあ」と呼んでいたなあ。


駄菓子はもちろん、くじで引くスーパーボールとか、暗闇で光るおばけのカードとか、ウルトラマンのブロマイドとか・・・・。

そしてここはもんじゃ焼きやらかき氷なんかもやっていたのだ。


なんつっても目前が市営プールが併設されている公園なのだ。

夏、おばあちゃんちに来たときは、そこのプールで泳ぎ、帰りはひぐちでかき氷、というのが定番だった。





そのプールが・・・・・・、










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い、未だに健在だなんて!

信じられん・・・。






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子供用と25メートルの大人用のプールがあるのだ。

子供用のほうは「しょんべんプール」とか揶揄されていたが、それがまだあるだなんて・・・・。



ロッカーもあるが、もう実家から水着で歩いて来られる距離だったので利用したことはない。


強制的にシャワーを浴びせられる通路を通ってプールへ至るのだ。


中の様子を伺おうとしたのだが、昔にはなかったはずの塀に阻まれてよく見えない。

変態とかが出るからかもしれない。

それでも隙間からチラ見してみたが、基本的には変わっていないようである。


ああ・・・。


なんか不思議。


大部分がすっかりと変わってしまっている一方で、時が止まったままのごとくそのままの姿で残っているものを見るとなんと表現していーのかわからんぐらい不思議な気分に襲われるのだった。


そんなのを、この先もまだまだたくさん目の当たりにするのだった。


つづく。

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維水志のルーツを探る旅 その2

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そんな殺伐とした中にあって、この公園はもしかして憩いの場であったのかもしれない。

・・・・・。

いやー、すぐ横がもう国道1号でうるさかったから、そーでもないか。


そうそう、この階段を上がっていくと、







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こんなふうにちょっとした広場が現れるのだ。

ああ、あの木は切られずに今もずっとあるんだあ。




小学校卒業後、すぐに横浜に戻ってきた維水志少年。

つまり小学生時代につるんだ友達がいないため、実質、近所に知り合いがいない。

それで壁を相手にキャッチボールでもやろうと思ったのか、グローブを持ってこの公園を訪れるうちに、同じく草野球をやっている少年たちといつの間にか合流するようになったのだ。

たまにそいつらを指導する大人も交じっていたかな。


とは言え、全部で4,5人?

ピッチャー、キャッチャー、バッター、守備2、3人、みたいな。


こんな空間だから、軟式野球でもない。

確か、ソフトボールの小さいやつでやっていたような・・・・。


それでまあ新参者ゆえの照れくささからか、漫画の影響からか、ボールを投げる時に「シュッ!」と言っていたので、維水志に付いたあだ名が「しゅ」だった。


越してきて間もない頃だったと思う。

やがて中学校での付き合いが中心になるにつれ、そいつらと遊ぶこともなくなったが、維水志が中2になったら彼らが1年下の後輩で入学してきて、維水志のことを「しゅ」ではなく「先輩」と呼び、敬語を使っていたことに驚きを感じたものだ。

厳しい部活に入部していたわけではないためか、年齢による上下関係に縛られるのを極端に嫌う維水志少年にとって、後輩としての彼らの態度は少し寂しいものだった。


そんなエピソードがあるのもこの公園があったお陰だろうな。


そーいや、ここを徘徊しているホームレスっぽいばあさんがいたな。「公園ばばあ」と呼ばれていた。

それとか段ボールでいっぱいのリヤカーを引っ張って近所を徘徊する「神様」と呼ばれるじじいもいた。

なぜ神様、と言うのかはわからん。サケウチがそう呼んでいた。

日曜だろうが夏休みだろうが、子供を見つけると「学校へ行け!学校へ行かないと地獄に落ちるぞ」と意味不明な「地獄行き宣告」をしていたからだろうか。


そんな都市伝説的なやからが存在したのも下町ならではではなかろうか。






さて、もう少し近所を歩いてみよう。





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確かあそこがお肉屋さんだった記憶がある。

7つ下の妹がおつかいに行くと、店主が「かわいいから」と言ってよくサービスをしてくれた。




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ここで妹の七五三の写真なんかを撮ったはずだ。

ここの写真館は未だに健在なんだあ。






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その近くにある神社。

ここで夏祭りが開催されていた。





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この狭い空間に出店が立ち並んでいた。

こんな都会にあって、こーいった風景は変わらんのだ。

この神社に特に思い出はないのは何故だろう?




もう一つ、時が止まっちゃってるものを見つけた。





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これだ。

今で言う、コンビニ。


そ、そのまま建物が残ってんのか?(;゚Д゚)


かすれた看板には「コンビニ」の文字がある。

ってことはコンビニ全盛期を迎えるころまでは営業をしていたのだろうか。


「萌一、パンと牛乳買ってきて!」

と、母ちゃんに命令されりゃすっ飛んでここに来たものだ。

店主は気さくなおばちゃんだった。






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あちゃー。完全に時が止まっている。


昔からある街並みってのはみんなこんな感じに新しいものと古いものがアンバランスに入り混じっているものなのだろう。







通学路の一つに行ってみる。


面白いもので時期によって通学コースがいろいろと変わっている。

中学3年間のほとんどをサケウチと一緒に通学した。

柔道部のサケウチと、文科系の部活の幽霊部員だった維水志とじゃ全然生活のリズムが違っていたはずなのだが。

なにしろ維水志の実家とサケウチんちは歩いて数十歩の距離しかなかったから、きっと朝だけは一緒だったのだろう。



「維水志くーん!」

って、朝、サケウチが迎えに来る時の声が蘇ってくるよ。





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通学途中にある近くの川。

こ、これは驚いた・・・・。



だって・・・、





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川底が見えるし、鴨や魚が泳いでいるではないか!




昔はヘドロで水がよどんでいて水底が見えるなんてことは皆無だったのだ。




海が近いので干潮になると水位が下がる。そうなると川底近くのヘドロの山が顔を出し、夏場なんかは特に臭いが強烈で、とてもじゃないが近くを通る気にはなれなかったほどなのに。






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そう。ちょうどあの下水が流れ込むあたりに大きなヘドロの山が顔を出すのだ。


サケウチはその山のことを「アトランティス大陸」と呼んでいたものだ。

今考えると笑っちゃうなあ。サケウチってのは発想力が豊かだよなあ。

謎の大陸、アトランティスだもんなあ。

そのサケウチが今じゃ高校の先生だってんだからさらにおかしくて笑っちゃうよ。


そしてそのアトランティス大陸が現れると、尻尾を除いても20センチはあろうかという、超巨大なドブネズミが大陸の中央に鎮座しているのをよく見かけた。


そんな川がここまで変貌を遂げるとは・・・・・。


一体、どーゆーメカニズムでここまで水質が改良されるのかしら?

下水が整備された、ってことだけ?



いやー、何もかもが懐かしい。

30分ほどの滞在だったが、1時間以上に感じられたのだった。



じゃあ次は名物商店街へ行ってみよう。


つづく。

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